駅弁三昧(26)ザ・長崎 幕の内へのパーマリンク
2008 年 4 月 25 日 金曜日
駅弁原点シリーズ第二弾と書かれているので、第一弾もあったのだと思いますが、見た目はベーシックなお弁当です。
中身は長崎の味が入っていて、鯨のハンバーグや高級甘鯛など、ちょっと変わった幕の内です。
その中身が踊っているのは、移動中に揺れたからで、元はきちんとなっています。
現在の長崎駅は、昔とは大きく変わって、都会に良くあるタイプの駅ビル風の建物になっています。駅弁屋さんは隅の方にちょこんとある感じでした。
どの都市でも大きな駅はこういう形に変わりつつありますが、個人的には個性がなくなっていて非常に残念です。私はこの現象を個人的に「無国籍化」と呼んでいます。
もちろん地元の人の利便性等がありますので、旅行者が一概にどうのというもなんですが、日本だけでなく、世界的に先進国ならどこでも似たような光景になりつつあるのはどうかと思います。
米国でもヨーロッパでも日本でも、同じような駅の建物に、同じブランドのファーストフード店がならんでいるのでは、距離感や風土を感じることはできません。
京都駅などもこういう典型だと思いますが、京都来たなあという実感は、新幹線から見える仏塔を見て感じることはあっても、駅を見て思うことはありません。
長崎駅に降りた時に、明らかに私は旅行者で場違いな印象を受けました。
「あぁ長崎に来たなあ」というよりも「長崎人の日常の中に旅行者が紛れ込んだ」という印象の方が強かったのです。うまく表現できませんがねプチ東京のお上りさんのような感じとでも言ったら良いでしょうか。
これでは鉄道で観光に来ようという気持ちになりませんし、グラバー邸に直行したい、出島に直行したいと思ってしまいます。すると、家から車で直接グラバー邸の前に行くのがベスト(というかそうでないと居心地が悪いと感じる)という結論になり、旅行からプロセスが欠落する気がします。
個人的には旅行の醍醐味は、A→B→Cと回っていく時の→のプロセス(時間や風景等)にもあると思うので、これが単にA、B、Cになるなら、極端な話ネットでムービーを見ていても一緒という気がします。突き詰めると、世界遺産だけを集めて(場所なんて関係なく)見学するとか、そういう時間と場所を超越した旅の方が面白いのではないかと、そんな気持ちにもなります。
こうなった駅は、地域の出入口ではなくて、日常の通過点になってしまっているのだと思います。
関東では駅ナカが流行していますが、テナントを見ると、デパートの物真似のようで将来性には不安を感じます。今は鉄道施設内は特別に土地代が安く計算されているので利点があるかもしれませんが、もし同額になった時に、商業地域や本物のデパートと競争できるだけの魅力と商売力があるのでしょうか。
最近、駅の中で物騒な事件が起こったりしていますが、あれも駅が「往来」になってしまった結果、通り魔が暗躍する場になってしまったのではないかと考えます。
往来とはパブリックで無機質で特に意味づけがない通過点です。例えば、有名な観光地、神社仏閣等の場所、誰々さんの家といった場所で発生する犯罪には、何かその場所に関連した意味づけがあると思いますが、駅で発生する通り魔には、駅は意味がなく、ただの道路と同じなのでしょう。
長野駅、八戸駅、秋田駅、山形駅。どれもJR東日本の駅の標準型と言いますか、外観が違うだけで、駅の構造も中の設備もほぼ同じです。もし連続してあったら、地下鉄の駅のように、看板を見ない限り、いまどの駅にいるのかわからないと思います。
機能に徹するにしろ、地域のコミュニティの場にするにしろ、もっとやり方があるのではないかと、この駅弁を食べながら思いました。
例えば、利益を考えるとしても、駅の業務を雇用創出も兼ねてその地域に委託するとか、駅ナカに入るお店を有名ブランドではなく地元の商店街に委ねるとか、駅の色や内装、設備の権限を駅長と駅員の管轄にするとか、そういうことでも各駅かなり違った個性が発揮され、地域の愛着もわくのではないかと思います。
新幹線の駅が出来て、駅前の商店街が寂れて、地元の人は近隣の大都市に吸い取られて、どこにでもあるようなコンビニとファーストフード、○○に行ってきました的なありきたりのお土産だけがあるところを見ると、大変寂しく空虚な感じがします。































